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隠された飛行機事故

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ラリサ・サビツカヤは、自身が生き永らえた飛行機事故について回想した。飛行機の屋根が吹っ飛び、乗客は椅子から外へ飛び出した。

1981年、20歳の彼女は19歳の夫と新婚旅行の帰りにコムサモリスク・ナ・アムールからブラガベシェンスクへ飛ぶ飛行機に乗った。『なんか乗りたくない気持ちがあったんです。8月24日。なぜかわからなかったんですけど。』

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ラリサは夫と最後尾の席に座り、すぐ寝入った。金属が擦れる音で目を覚ますと、機体が二つに割れるところだった。

『叫び声がして、夫の方を見えると、彼の顔が血だらけで死んでいるのが見えました。夫に別れを告げて、次は私が死ぬ番だと悟ったんです。』

地面に落ちるまでの8分間、アントノフ24の後尾で彼女は必死にアームレストを掴んでいた。

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『ショックが痛みを和らげることになりました。一番辛かったのは、寒さです。その3日間ずっと雨が降っていましたから。寒くても、体を温めることができませんでした。夜は8度だったんです』身体中の痛みに耐えながら、自分の椅子の上に機体の残骸を置いて雨をしのぎ、座席カバーを集めて寒さを凌いだ。隣には夫の遺体があり、雨が顔の血を洗い流し傷を露呈させていた。

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彼女は夫以外、一人の死体も見なかった。救助隊が彼女を見つけたのは、墜落から3日経ってから。彼女は脳震盪のほか、背骨、手、肋骨など5カ所骨折、歯を全部失った。

『両親は、私用の墓穴を掘ったと言いました。あの便の乗客の親族たちに生存者はいないと通知されたんです。そして、このことは胸の奥にしまって、誰にも墜落事故に話さないように言われたそうです。』

当時、この悲劇について一言も公表されなかった。その日、気象偵察で飛んだツボレフ16kは通知を怠り、アントノフ24も進路が少しずれたことを報告せず、結果、15時21分軍事機と民間機が高度5220kmで衝突したのだ。アントノフの乗客27名乗員5名、ツボレフ乗員6名、38名中、37名は死亡した。

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『私は医師に、なぜ障害者認定されないのか聞きました。私は歩くことも座ることもできなかったのに。彼らがいうには、"あなたは障害者ではない。法律がそうですから。もしあなたに手や足がなければ…(障害者だったかも)"」

ラリサには最低限の保証75ルーブルが支払われた。後に、新聞に『ラリサは自家製の飛行機械から落ちた』と書かれた。2000年になってから、事故が公表され、現在映画の撮影が行われている。ラリサは撮影を見学に来たが、脚本は読んでいない。

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この悲劇について思い出すのは辛いという。飛行機事故から1年後、彼女は復学したが、さらに自動車事故にも合い、そこで母親が死亡した。悲劇の連鎖にも関わらず、彼女は息子を出産し、生きる希望をつないだ。

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