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モスクワからお届け

秘密結社「セティ」事件④

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社会的反響

2018年5月、当局に届け出て、ペテルブルクのオフシャンニコフスキー公園でセティ事件の逮捕者に共感した者達の集会が開かれた。

2018年7月、国連拷問禁止委員会でクローダ・ヘッレラがセティ事件の容疑者や証人への拷問に関する質問をしたが、ロシア代表団は無視した。

一部の人権活動家およびジャーナリストによると、刑事事件は捏造され、証拠は逮捕された者達の権利を著しく侵害して作り出されたものだという。

容疑者の親達は人権委員会のモスカリコヴァに子供の拷問について調査し、以降尋問での拷問使用を禁止するよう要請した。

また、ペンザとペテルブルクでは逮捕者の親族らが社会や当局へ訴え、セティ事件の囚人を支持する公人の声明も発表された。

2018年10月28日、モスクワ、ペテルブルクやその他の街でセティ事件とノーヴァヴァ・ヴェリーチヤ(過激派コミュニティ)事件の容疑者を支持する集会が開かれた。当局はこのイベント開催を許可しなかった。モスクワではルビヤンカ広場に1500人弱集まり、14人拘束。ペテルブルクではネフスキー大通りで40人以上拘束された。集会はペンザ、ノボシビルスク、ロストフナダヌ、イルクーツクでも行われた。

2018年10月31日、アルハンゲリスクで17歳のミハイル・ジュロビツキーが地元連邦保安庁の建物に入り、自家製爆弾を爆発させた。彼は即死、職員3名が負傷した。爆発の15分前にテレグラムに匿名で「反逆者の発言」として、「これから爆破するつもりだ」「連邦保安庁が事件を捏造したり、人々を拷問したりしているので、僕はこれをやることにした」と投稿があった。ジュロビツキーはアナキズムに関心を示しており、ジャーナリストの一部は、このテロ行為とセティ事件を関連づけている。

2018年12月11日、人権委員会の記者スヴァニーゼと委員長フェドートフはプーチン大統領に、セティ事件の容疑者に関しては電気ショックによる拷問があった、ノーヴァヴァ・ヴェリーチヤ事件に関しては警察が挑発をしたと報告した。プーチンは、両事件について報告が上がってないとし、『見なければならない。何かガポン信仰(※)のようなことやってたと言うのか。私は初めてこのことを聞いた。当然これらについて把握する必要がある』と発言。

2019年4月、この事件で最初に声をあげたうちの一人、人権活動家ポノマリョフはchange.orgの中で、セティ事件の終結と拷問の調査を求める請願を投稿した。請願書にはアーティストや作家などが署名した。

f:id:japinmos:20200224060634p:plain(wikipedia: ガポン神父)

※ガポン神父はペテルブルクの労働者をまとめ、次第に過激派と連携しながら労働者の請願行進を指導した。この請願行進に軍隊が発砲し、1905年血の日曜日事件となった。

moscownews.hatenablog.com

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